Wilhelm Wagenfeld, 1949©Wilhelm Wagenfeld St iftung.JPG

wilhelm WAGENFELD

この度STILL LIFEはドイツの工業デザイン界に於いて重要な人物であるwilhelm WAGENFELD (ヴィルヘルム・ヴァーゲンフェルド)の作品についての展覧会を開催致します。日本国内であまり知られることの無かったドイツ工業デザイン会の重鎮。本国からのヴィンテージに加え、珍しい書籍も展示・販売致します。

Summary

名 称 : EXHIBITION wilhelm WAGENFELD ヴィルヘルム・ヴァーゲンフェルド バウハウス時代とその功績

日 時 : 2021年8月27日(金)〜10月16日(土) 10:00~17:00 ※会期終了いたしました

会 場 : STILL LIFE(スティル ライフ)

場 所 : 〒461-0003 名古屋市東区筒井1-14-18

主 催 : STILL LIFE(スティル ライフ)

Story

Wilhelm Wagenfeld(ヴィルヘルム・ヴァーゲンフェルド)は1900年にドイツのブレーメンに生まれ、10代の若かりし頃は銀細工を習得します。

20代に入りバウハウスに学び、各方面に多大な影響を与えたラースロー・モホリ=ナジに師事します。その後は戦争の影響もありバウハウスは閉鎖に追い込まれるが、その理念を受け継いだヴァーゲンフェルドは様々なメーカーより秀逸な作品を発表していきます。

 

世界的にも評価は高く、作品の多くはMoMAの永久所蔵品にも加えられています。ドイツのデザイン業界に多大な功績を残したヴァーゲンフェルドを、当時の社会的な背景も加味しつつヴィンテージ作品と書籍を通して探ります。

作品は全て販売も致します。貴重な作品も多いのでお求めの方は早めにご来店をいただくことをお勧めいたします。また、併設しているカフェではドイツに纏わるスペシャルメニューもご提供いたします。合わせてご利用下さい。

Works

Life

1900.4.15

1923

1926

1930

1931

1932

1934

1935

1937

1942

1945

1946

1948

1951

1952

1954

 

1955

1957

1960

1962

1964

1965

1968

1978

1987

1990.5.28

1998

ドイツブレーメンにて生まれる。献身的な社会民主党員である父親は、港の運輸労働者の責任者でした。

10代から20台前半まではブレーメンやハーナウの美術工芸学校で銀細工職人として教育を受けます。

バウハウス・ワイマール校で研究の開始。ラースロー・モホリ=ナジに師事を受ける。

1925年4月1日にワイマール校が閉鎖されるまで、バウハウスの金属工房での同時活動。Wagenfeld Lampeがデザインされる。

ドイツ工作連盟に参加。バウハウスの後継機関であるStaatliche Bauhochschule Weimarの金属工房の助手となる。

ここでドアハンドル、コートラックなどが制作された。

ナチスによる迫害で所属していたStaatliche Bauhochschule Weimarが閉鎖されるが、ヴァーゲンフェルド と他の教師が全てのデザイン上の権利を引き継いだ。 シュヴェービッシュ・グミュントでジュエリーの作品も制作された。

Jenaer Glaswerk Schott & Genにて一連のティーポット、スーププレート、ボウルやミルクポットなど がデザインされた。

10月にはベルリンにある州立美術学校の教授となり、ミース・ファン・デル・ローエや L・ライヒと知り合う。

ドイツガラス技術協会の会員となる。

磁器メーカーのフュルステンベルクのコーヒー、ティー、ディナーサービスをデザインした。

VLGのアートディレクターに就任。様々な専門家をVLGに招いた。

Jenaer Glaswerkとの契約は終了したが、個別で受注した。パリ万国博覧会でフュルステンベルクのコーヒーティーディナーサービスがグランプリを受賞。 ミラノトリエンナーレでは銅メダルとなる。Pelikanのためのインクボトルをデザイン。

兵役につくが翌年、ガラス産業からの要請により免除となる。

ナチスへの参加を拒否し、罰として彼は東部戦線の航空隊に送られた。

捕虜になり、9月にヴァイスヴァッサーに戻るまで最初はアメリカ、後にロシアの捕虜収容所に収容された。

戦後、VLGの再建に取り組むが翌年買収され「OLG (Oberlausitzer Glaswerke) 」と改名する。

その後も改善に取り組み30年間の契約を結ぶ。のちにヴァーゲンフェルドはグロピウスに次のように書いている。
「戦後、ヴァイスヴァッサーほど自由な決断を下すことができた場所は他にありません。」 

その後、ヴァーゲンフェルドはいくつかの芸術大学、工科大学で教鞭を取った。

4月、WMFと契約しアートディレクターに就任。

WMFのグラスがミラノトリエンナーレで金メダルを獲得。

ローゼンタールとコンサルタント契約を結ぶ。

ドイツデザイン評議会へ任命される。

ドイツ連邦産業協会(BDI)の工業デザインワーキンググループのメンバーとなる。

シュトゥットガルトでの彼自身のワークショップ「Wagenfeldワークショップ」を設立。
 

Lindnerと契約。数多くの照明器具をデザインする。 

アスペン国際デザイン会議に参加。一方で、ドイツ工作連盟を辞任。

ミラノトリエンナーレで彼の作品全体がグランプリを獲得。

5月11日~16日の5日間、坂倉準三、柳宗理、亀倉雄策、丹下健三らが中心となった日本国内初となる

「世界デザイン会議」へ招待される。

シュトゥットガルト州立芸術アカデミーの名誉会員となる。

シュトゥットガルトの名誉上院議員となる。

ベルリン芸術アカデミーの会員となる。

ド イ ツ 工 作 連 盟 4 番 目 の 名 誉 会 員 。( グ ロ ピ ウ ス 、 シ ャ ロ ウ ン 、 ミ ー ス ・ フ ァ ン ・ デ ル ・ ロ ー エ に 続 く ) 

「Wagenfeldワークショップ」が閉鎖。

ブレーメンの国立美術館、博物館で彼の作品の回顧展が開催される。

ドイツ・シュトゥットガルトにて没。

ドイツ・ブレーメンにWilhelm Wagenfeld Stiftung・Wilhelm Wagenfeld Hausを開設。